万葉集は7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた現存する最古の和歌集です。その4500首を超える歌集には、上は天皇から下は農民・防人までさまざまな人々の歌が別け隔てなく採られていますが、その中でもひときわ光り輝き、歌聖と讃えられているのが柿本人麻呂です。
人麻呂は万葉集だけでなく、日本の和歌の全歴史において最高峰の歌人とされ、後には神聖として讃えられました。現在も祭神として祀る「柿本神社」「人丸神社」は全国に多数存在します。
人麻呂は、万葉集において長歌・短歌など合わせて三百七十首以上の歌を残していますが、それらの歌材は天皇・皇子への献上歌・挽歌・羈旅歌・相聞歌・行路死人歌と多岐におよび、歌風は壮重で感動的。まさしく宮廷歌人と呼ぶにふさわしい歌人でした。
彼の活躍した時代は、天武・持統天皇の頃で日本史上かつてない激動の時代でした。しかし、そのような中で、わずか五年で廃都となった大津宮を訪れた際に作った歌「近江荒都歌」は、長歌・反歌と共に現在においても日本人が最も愛する絶唱となっています。
万葉集・紀記を見ても、人麻呂の生涯はそのほとんどが深い闇と謎につつまれています。天理市にある私どもの極楽寺周辺も彼の生誕地の有力な候補地なのですが、生誕地においてもしかり、生没年、官歴、墓所など実に様々な説があって、人麻呂の実像を不確かなものにしています。
しかし、そうした人麻呂をとりまく謎の深さと多さがロマンとなって、人麻呂の歌と生涯を、より魅力的にし、私たちの心をひきつけてやまないのかもしれません。